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僕は今回の入院中にレイモンド・カーヴァーという作家の書いた本と出会いました。"Where I'm calling from"という短編集で中公文庫から村上春樹さんの翻訳で出版されていました。これには8編の物語と村上春樹さんのあとがきが収めてありました。その村上春樹さんの書いたあとがきの中に
「こんな妙な作家がどのようにして短編小説を書くのか」
と言うのが載っていました。
かつて私がかなりできの良い短編を書いたとき、最初私の頭の中には出だしの1行しか浮かばなかった。何日間か私はその1行を頭の中でこねくり回した。「電話のベルが鳴った時、彼はちょうど電気掃除機をかけているところだった。」と言う文章である。私はこの1行の中にはストーリーが詰まっていて、外に向けて語られたがっている、と思った。私はそこには物語があると骨の隋にまで感じた。時間さえあれば、それを書くことができるのだ。そして私は時間を見つけた。丸1日あればいい。12時間か15時間でもいい。うまくやればそれで間に合う。私はそれで、朝机に向かい、最初の1行を書く。それに続く言葉が次から次へと浮かんでくる。私は詩を書くのと同じようなかんじで短編を書く。1行が出来て、その次の行が浮かぶ。まもなく物語が見えてくる。それは私がずっとかきたいと思っていた私の物語である。
これはR・カーヴァー氏の自身の言葉を村上春樹さんが日本語訳したものです。このR・カーヴァーという作家の紹介文によると、彼は1939年もしくは1938年生まれで、アメリが文壇では数少ない、詩作と短編小説のみに専念する作家であるそうです。僕は先ほどのR・カーヴァー氏の考え方には多少なりの共感を覚えました。僕の言葉の書き方と似ているからです。僕も短編小説を書こうとするとき、それは詩を書くときとほぼ変わらない、と言うよりも詩を書いているうちにそれが短編小説になってしまうのです。もちろんR・カーヴァー氏には遠く及ばない出来ではありますが。
僕は1場面と言うものをとても気に入っています。もしくは気にします。完結する物語それ全体よりも、その物語に在るほんの些細な1場面が好きなのです。ある種のキーワードのようにひとつの場面を創りだして、その前後はいつも変化に富んでいて、あるいは自分の好きなように作り変えることができるのだから。だからと言って僕は決して完結する物語を書きたくないと言うわけではないのです。ただそうしてしまうと、もうその物語を発展させることは不可能になってしまいますし、読者に自分の限界を晒してしまうことにもなってしまうからです。ですから僕自身、物語のラストシーンを描くにはまだまだ力不足なので、今しばらくは長編の物語などは描けないだろうと思います。だからどうしても物語をフェードアウトさせてしまいます。
完結した物語全体で何かをあらわし伝えることもあるでしょうが、まだまだ僕には度胸が足りないようです。まあこの分では僕が小説を書くなんてことはしばらくなさそうですね。
R・カーヴァーという作家との出会いなどがあり書き上げたこの作品ですが、今回は新しい試みが幾つか施してあります。新しい本を作るたび、この本自体中身だけでなくこの形を持つもの全てが、僕の本なんだなあと思います。そろそろ次回作あたりから自分で撮った挿絵とかを使いたいのですが・・・。まだしばらく無理でしょうか。